セリフ100



 不思議な夢を見た…


「夢十夜」

*作中に以下のキーワードを含む事
【01】ライター【02】猫【03】満月【04】香水【05】ピアノ
【06】サイレン【07】常夜灯【08】キーホルダー【09】螺旋階段【10】鏡





 第一夜

 第二夜

 第三夜

 第四夜

 第五夜

 第六夜

 第七夜

 第八夜

 第九夜

 第十夜

















































第一夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 校舎の中に夕日が差し込み、一本、また一本と校舎の中に並ぶ常夜灯の灯が燈る。
 俺は螺旋階段を駆け上がりながら、生徒から逃げていた。右手に握られた拳銃には弾はもう無い。
 そしてこの階段には隠れる場所が無い。
 壁一面の鏡が空間を錯覚させ、俺の感覚を狂わせる。
 今もまだ空襲のようなサイレンは鳴り止まない。
 なんとか踏み外さずに階段を上り終えると、かすかな香水の臭いが鼻腔をくすぐった。反射的に身をひねると、ズボンに吊っていたキーホルダーが銃弾にはじかれた。
 敵だ。
 とっさに銃を構えたが、弾は入っていない。
 セーラー服を着た茶髪の女子がライフルを構えて俺を狙っていた。
 次の銃弾が飛んでくる前に、俺は手に持っていたライターを叩きつけて鏡の留め金をはずすと、そのまま盾に取り空間を歪ませて女子の目を欺いた。鏡に向かって飛んできた銃弾が破片を撒き散らしながら貫通する。その時には俺はもう別の場所へ向けて長い廊下を走り出していた。
 廊下の窓から月が見えた。
 眩しいぐらいの満月だった。
 思わず見蕩れて立ち止まると、そこへまた銃弾が飛んできた。
 だが、それは狙いがわずかにはずれ、俺の前髪をかすって窓に突き刺さった。
 飛んできた方を見ると、さっきの女子が俺に銃を向けていた。
 しばしのにらみ合い。
 焦れた女子が引き金を引いた瞬間、俺は目の前の教室に飛び込んだ。
 教室にはピアノが一つ置いてあって、その上で猫が演奏をしていた。
 その音楽は酷い電子音で、一世代前の携帯電話のような音だった。

 そして、その音で全てが真っ白になった。



+end+
2007.06.07 加筆修正→2007.06.12
















































第二夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 螺旋階段のように絡み合った幾つもの石階段に、今日も常夜灯の火を灯しに歩く。
 星一つ無い、明るい夜空には丸く太った満月だけが存在を誇示している。
 遠くのほうでサイレンの音が小さく響いて、やがて消えていった。
 それ以外はとても静かな夜だった。

ジュッ

 っとライターで一段一段に火を入れていく。上へ上へとそうやってゆっくり上っていくと、階段の途中で黒猫が待っていた。
 ネロと言う、この仕事を始めてからずっと一緒に居る猫だ。普段は何処で何をしているのかわからないが、俺がこの常夜灯の火を入れに来ると必ず途中から参加して、一緒に火と共に階段を上がって歩く。
 名前は勝手に付けたが、呼んでみると一応返事があるので気に入ってくれているものと思っている。
 今日もどうやら出勤してきたようだ。
 ニャーと小さく鳴くと、ネロは俺の後ろから石階段を上り始めた。俺は脚を休めることなく、次へ次へと常夜灯に火を入れていき、今日もネロと出会えたことに少し安心した。


 そうして、淡々と作業は進み、最上階の鏡の前に着いた。
 その鏡は不思議な鏡で、姿見の形をしているのに、ガラスの部分は水で出来ていた。水ガラスはピアノの音色と共に揺れ、時折計算高そうな香水の香りがする。
 その鏡の真ん中に、小さな鍵穴が一つ。
 まるで墨を落としたようにあいていた。
 それは綺麗な細工がされたとても小さな鍵の為の穴で、その鍵は、俺のベルトにキーホルダーのように大人しく座っている。
 俺はそっとその鍵穴に鍵を差し込んで、三回…右回りにまわした。三回まわし切ると仕事は終了だ。ネロも僕に興味を無くして帰っていく。

 もう毎日この仕事を行っていが、他に誰かを見たことは無い。

 一歩一歩、上ってきたときより速いスピードで俺は石階段を降りていく。
 月はまだ丸く太って存在を誇示していたが、やはり星は見えなかった。  



+end+
2007.04.07→加筆修正2007.06.10
















































第三夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 螺旋階段に腰をかけ、見晴らしの良い満月の町並みを見下ろす。
 聞こえる喧騒やサイレンの音は、すでに僕のライターの中に吸い込まれてオイルと成り代わってしまっている。
 僕はたぷたぷと揺れるにぎやかなオイルで煙草を吸うのが一番の楽しみなのだ。
 常夜灯の中で、猫が焼かれて踊っているのがこの月明かりで一層映えて見えた。
 こいつらはそうやって焼かれるのが好きなのだ。
 きっと、常夜灯の灯に恋しているのだろう。それは甘い香水の匂いを織り交ぜた焦げ臭さと共に、僕の元にまで流れてきた。
 僕はこいつらが焼かれるのもそう悪くないと思う。この甘く香ばしい猫の匂いも癖になりそうだ。
 キーホルダーから今日の煙草を取り出して、たぷたぷと揺れる喧騒を燃やした。
 パチパチと巻紙が燃えると、中の草がピアノの系譜を奏で始めた。
 静かな音で、ゆっくりと今日の音楽が流れていく。
 ふーっ っと煙を吐き出すと、煙は鏡のカケラとなって満月の町並みにキラキラ降り注いで行った。


 其処は、ただ静かだった。



+end+
2007.06.13
















































第四夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 魚が泳いでいた。
 鏡の中で、優雅に泳いでいた。
 それは見たことの無い魚で、目玉が三つに尾ひれが二つある青紫色をした魚だった。
 僕は螺旋階段をゆっくりと下りながら、その魚の後をおいかけていく。
 鏡の中には他にも色々な魚が居たが、そいつらのほとんどは灰色をしていた。たまに赤や黄色、萌葱色などの魚がちらほら見え隠れするだけだ。
 僕と魚の歩調に合わせてゆっくりとしたピアノのメロディーが館内に流れ、ライターの火種を燃やした常夜灯が一つ、また一つと灯っては消えていく。
 と、急に鋭いサイレンの音が鳴り響き、満月の照明が鏡の中で波紋を作った。
 何事かと思えば、一匹の猫が鏡の中に飛び込んで魚を追い掛け回していた。
 猫の動きは俊敏で、一匹、また一匹と色の着いた魚が灰色に変えられていく。
 僕は悟った。猫に魂を食われると、魚たちは死んで灰色になるのだと。
 猫は既に僕の青紫色の魚にまで迫っていて、だけど魚は何事も無い用に優雅に泳ぎ続けている。

 “この魚は僕の大事な魚なんだ。誰にもやらないぞ”

 僕は猫にそう囁くと、香水ビンの蓋を開け、魚をそこへ閉じ込めた。
 猫は残念そうに舌打ちしたが、それだけですぐ他の魚を追いかけ始めた。
 僕は香水ビンをキーホルダーにつけ、ゆっくりとまた階段を下りていく。
 家に着いたら僕の鏡にこいつを放してやろう。
 そして一日中、僕はこいつに語りかけよう。
 こいつは本当に大事な僕の魚になるぞ。
 うなずくようにキーホルダーがカタカタなった。
 僕は嬉しくなって心がころころ笑った。

 いつの間にか鏡の中の猫は居なくなっていて、全ての魚が灰色に変わっていた。



+end+
2007.06.14
















































第五夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 教室の中に太陽のように明るい満月の光が差し込む。
 僕は数学の教科書をライターで燃やしながら、黒板の文字を書き写していた。
 他の生徒も教科書を燃やしながら、ほとんどが僕と同じように文字を書き写してるが、女子どもは香水や化粧の臭いを振りまきながらおしゃべりに夢中になっていた。
 教室の隅ではピアノが眠気を誘う音楽を静かに奏で、黒板の前では中年太りの教師が汗だくになって授業を進めている。教師のベルトにはキーホルダーがじゃらじゃらと無数につけられていて、よく見るとそれらは全て時間を知らせるアラームだった。
 なまぬるい、奇妙ないつもどおりの光景が続く。
 アラームの一つが冷たいサイレンの音を歌うと授業は終わり、教師は何も言わずに姿を消した。生徒達はおしゃべりや勉強をやめ、鏡の中の螺旋階段を上って教室を出て行く。
 階段を飾る常夜灯の仄かな明かりが僕らを温かく迎え、幾つもの影が長く伸びた。
 その影を見て初めて気がついた。
 僕たちは 猫だった。




+end+
2007.06.15
















































第六夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 博士は私に言った。
「私は発明しました。これこそ喫煙者(特に女性)にとって救いの神になることでしょう!!」
 自信満々に取り出したのは、何処にでも売っているような100円ライターだった。
「はぁ、で?」
 それの何処が救いの神だ!!とは口には出さないが、表情と態度でアピールする。しかし博士は意に介さない。
「ふっふっふ。目を丸くしているね。どうやら驚驚きすぎて言葉も無いと言った所でしょう!」
 意に介さないどころか、まったく別の方向へ解釈された。
 博士は続ける。
「では、さらに驚きなさい。この単なる普通のライターのように見えるこのライター!!実は中のオイルはアロマオイルなのです!!!!つまり、これはいわゆる香水ライター!!!火をつけるたびに香る素敵な匂いで煙草臭さを消臭し、尚且つ体臭も消臭し、そして更に口臭も消臭してくれる…これはかもしれないけど、そんな画期的アイテムなのですっ!!」
「博士、アロマオイルは熱することによって香りを放つアイテムですよ。燃やしてどうするんですか。」
「甘いですね。どれくらい甘いかというと、蜂の巣ぐらい甘いです。」
「それは甘くもありますが、痛くもないですか?」
「そうです、そんな貴方の今の質問はとっても痛い質問だったのです!!」
「えぇ?!!」
「いいですか、これはこれこそは私が開発したのです。今までの鍵もかからないキーホルダーや猫型ロボット、満月型鏡なんかとは格が違うのですよ!」
「いえいえ、そんな駄作も博士が作ったことに変わりありませんが、それがどうしてそんな成功品の様な言い方に?」
「核が違うとはつまりソコから違うんですよ!キーホルダーは鍵どころかなにも付けられず、猫型ロボットは既に世の中で大人気絶賛発売中だったりしたり、満月型鏡はただの丸い鏡だったり、そんなちょっとヌケた萌ポインツは全て今回は削除して作り上げたのです。大人のアイテムなのですよ。」
「萌って何?!!!大人のアイテムって?!!というか、博士、全部どこかで聞いたことや見たことのあるものばかり作ってんじゃないんですか??」
「お・と・な・の・あ・い・て・むっ。」
「いえ、区切って読んでも可愛くもありませんし、セクシーでもありませんよ。そのポーズやめてください。」
 両手を頭の後ろで組んで、よくグラビアアイドルなんかがやっていそうな魅惑的なポーズをとっていたのだが、水着姿でもなんでもない博士がそんなポーズを取ったところで、見た目空しいだけだった。むしろ、そんなポーズを見せられる助手の気持ちをとても考えて欲しい。
 犬のきっもちっ!ならぬ助手のきっもちっ!を発売して愛読して欲しい。
「ふん、貴方には大人の魅力はまだ早かったみたいですね。」
 博士は残念というよりは、あきれ返ったかのように大きく肩を落としてわざわざため息をついて僕を恨めしそうな目で睨んだ。
「止めてくださいよ。その目。それより、その大人の発明について続きをどうぞ。今日はちゃんと聞いてあげますよ。あー、でもあと五分で六時のサイレンが鳴るんで、鳴ったら帰りますけど。」
「ふん、助手の癖にアルバイトの如く帰宅時間に正確な性格なんですね。いいでしょう、その五分全てで貴方にこの素敵アイテムの恐ろしさを思い知らせてあげます!」
 博士は馬鹿のように僕向かってびしっと指を突き刺して、
「このライターはアロマオイルの香りで人間の本能もとい煩悩に刺激を与え、更にこの横の火の大きさを調節するつまみ、これは実は火を調節つまみではなくボリュームを調節するつまみであるのですが…。これで素敵なピアノ演奏を奏で、ムードを盛り上げ、そう大人の階段を登る為のいわば引っ込み思案さん、もう一歩が進めないさん、などなど諸々の人たちにとって救いの神となるアイテムなのです!!!!」
「あぁ、その諸々のくだらない機能が最初の救いの神につながってくるわけですね。」
「そうです!まさかそんな機能が付いているとは助手の貴方でも想像つかなかったでしょう!!」
「えぇ、本当に想像が付きませんよ。こんな馬鹿らしい事。一つ聞きますが博士、このライターずっと火をつけていないとアロマの香りは長続きしませんよね?それにピアノの音?ですか??場面に合わせた音楽が鳴らないと逆にしらけたりしませんか?それにこのライターに充電性があるとは思いませんが、一体音楽はどれくらいなり続けるんですか?奥手同士だと、これからいざっ!という時に音楽が無くなって…みたいな気まずい事になりませんかね?」
 博士は僕から目をそらす。
「博士、それにですよ、博士。このアロマの香り。本人が気に入っても相手が気に入るとは限りませんよね?むしろ臭いとか言われたらもう破滅ですよ??」
 博士は僕から目をそらす。
「博士、それにですよ、博士。こんなに沢山機能付けて一体いくらで売り出すつもりですか?見た目100円ライターなんですから、100円でないと売れないと思うんですけど?」
 博士は僕から目をそらす。
 顔ごとそらしてくるっと僕に背を向けると、大きなため息を吐いて背中から僕に
「嫌ですね、助手。嫌な助手ですね。本当に本当に嫌な助手ですね。」
 呪いの言葉をかけられた。
「大人にならないとわからないんですよ。このライターの偉大さが。そして私の才能が。いいですよ、助手。赦してあげます。えーえー、貴方の言葉なんてちっとも本当にこれっぽっちも毛先の枝毛ほどもきにしてないんですから!!!!!」
 ちなみに博士は枝毛が出来ると全部切らないと気がすまないほど神経質なタイプだ。
「めっちゃ気にしてるじゃないですか!!!」
「気にしますよっ!!!!」
 僕と博士の言い合いは日常茶飯事だ。
 博士が馬鹿な物を作り、僕がその駄目な点を限りなく上げ、衝突する。
 それでも、

ブーブーブーブー

 泥棒が入ったときの警報のようなサイレンが響いて、僕らの言い争いは止まる。
 これこそが六時のサイレンだ。帰宅の合図。
 結局いつも僕らの言い争いはこのサイレンに阻まれ、次の日には何事も無かったようにまた博士が馬鹿なアイテムを作り繰り返される。
 研究室から僕の家までは徒歩一分以内。目と鼻の先。というよりは、研究室横の非常用螺旋階段を上がった二階が僕の家だったりする。
 階段に設置された常夜灯にはまだ火は灯っていない。これに火を点けながら僕は家に帰り、出勤のときに消しながら降りてくるのが日課だ。
 僕はいつものように火をつけながら登る。研究室からはまだ博士の叫ぶ声が聞こえてくるが、それすらも笑えてくるぐらい愛おしい。
 こんな馬鹿な博士の隣にいられるのは自分ぐらいしかいないだろう。
 その考えだけで救われる。
 救いの神、それは言いえて妙ではあるが、僕にとっては博士自体がそれなのだろう。

 今日の常夜灯はやたらと香水臭かった。
 やっぱり香りは好みによるなと思いながら僕は苦笑する。
 そのポケットに100円ライターを仕舞いこんで、そうしてようやく家にたどり着く。
 ポケットからは微かな香りと、ゆったりとしたピアノの音色が静かに響いていた。

 愛おしい。
 愛おしい。
 こんな無駄なものさえも愛おしくなるのなら、やっぱり貴方は天才ですよ。

 博士。





+end+
2007.12.17
















































第七夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 私の住む町の外れには、廃れた灯台がある。塔を囲むように螺旋階段あって、それを百段上るとようやく中へ入る扉が在る。
 以前は暗くなると明かりが灯され、近海を照らしていたが、今では燈台守ですら住み着かず、私たちのような行き場の無い人間の宿になっていた。
 今夜も常夜灯の明かりが入る頃、一人の人間が階段を上ってやってきた。
 灯台には明かりを入れる場所の真下に、寝室のような部屋がある。梯子でその部屋に下りると、埃と蜘蛛の巣にまみれたハンモックが数個ぶら下がった状態で乗客を待っている。
 私たちはお互いに「こんばんわ」と挨拶を交わした後、鏡合わせの位置取りで其々のハンモックに乗り込んだ。
 小さく切り出された無意味な窓に、丁度満月がはまっていた。
 乗り込まれたハンモックは軋みと共に埃を床に落として少し揺れたが、それもそのうち静かになった。
 誰も動かない。向かいの人間の髪から香水のような澄んだ香りと、波の音が聞こえるぐらい静かだった。
「音楽を聴いてもいいですか?」
 その静けさを無理やり終わらせて、向かいの人間が聞いた。私は特別断る理由が思いつかなかったので、
「どうぞ。」
と快く備え付けの蓄音機を示して、
「円盤はお持ちですか?」
機械のそばに円盤を投げてよこした。
「あぁ、これはありがとうございます。では、せっかくですから。」
向かいの人間は、せっかく出しかけた自分の円盤を胸のポケットに大切に仕舞うと、私のよこした円盤を蓄音機の上に丁寧に置いて、針をかけた。

 ギジギジ ウーウー
 ギジギジ ウーウー

 最初、蓄音機はサイレンが唸る様な音を立てていたが、
「あぁ、これはこれは。」
と向かいの人間がライターで少し針先をあぶってやると、綺麗な音色でピアノの音を奏で始めた。
 この円盤は私のお気に入りの一つで、この灯台でこうして聞く為に知り合いの猫から集めたものだった。
「良いですね。」
 向かいの人間が一言そう言った。
「そうでしょうね。」
 私も言い返した。
 しばらく心地よい音楽が続いて、それはゆっくりと終わった。
 向かいの人間は、その円盤から針を上げると、
「これはとても良いです。どの猫から頂いたのですか?」
そう私に聞いた。私は
「岬の猫です。」
と正直に答えた。
「あぁ、岬の猫ならこの間見たばかりです。明日にでも追いかけてみましょう。まだ、この円盤を持っているかもしれない。」
「それならば、急いだ方が良いでしょう。何せ猫は気まぐれですから、もう別の円盤に変えてしまっているかもしれません。」
「きっとそうですね。」
「急がれるなら、これをあなたに譲りましょう。」
「何ですか?」
私はキーホルダーのように束ねた巾着の中から、薄い海色の巾着を一つ取り出して、
「猫に渡してください。岬の猫はこれだけが大好きなんです。」
とだけ言った。向かいの人間はその巾着を受け取ると、私と同じように束ねて
「どうもありがとう御座います。では、あなたはこれを貰ってください。」
そう言って桃色の巾着を私によこして返した。
「これは、良い色です。どのぐらいいらっしゃったのですか?」
「いえいえ、ほんの一週間で色付きましたよ。猫は何と言っても綺麗な色が好きですからね。その点この桃色は申し分ないと思います。」
「本当にありがたいですよ。最近の猫は贅沢を覚えましたからね。ただの草原だの、森だのには見向きもしません。お金や無駄がかかっていないとダメなんですよ。」
「あぁ、まったくその通りです。本当のそのものが良いものであることに今は気が付かないんですね。飾り立てて色をつけないと見向きもしてくれませんよ。」
「お互い苦労しますね。」
「本当に。」
 これを最後に向かいの人間はハンモックから降りると、猫を探しに出て行ってしまった。
 私はまだ少し埃の残るハンモックに一人ぶら下がりながら、ぼんやりと窓を見つめていた。
 はまりきっていた満月もいつしかゆっくりと動き、今では尻尾の方を少し窓の淵に覗かせているだけになっていた。
 私は円盤に針を戻すと、静かにその音楽を楽しんだ。

 けれど何故猫が音楽を集めるのか、私にはやっぱり解らなかった。




+end+
2007.08.13
















































第八夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 常夜灯が照らす石畳の夕暮れは、夜のにおいを纏った娼婦の香水の香りと煌びやかなピアノの音色を纏った貴族が犇めき合って、異様な光景を作り出していた。
 いや、これがこの街のいつもの光景なのか…
 石の螺旋階段は、その上に座る僕に冷たく…そしてこの街は財布の無い僕に冷たかった。
 拾ったライターで、誰かが吸い捨てた煙草に火を入れると涙が出た。
 こんなにも人が溢れている街で、こんなにも孤独な僕が悲しかったのだ。
 野良猫すら僕に寄り付かず、誰もが蔑んだ目で僕を見ながら避けて通っていき、塵の様な扱いを受けて、こんなに惨めなはずなのに、僕はこの場所から一歩も動けなかった。
 僕の持ち物は拾ったライターと昔住んでいた家の鍵がついたままのキーホルダーだけ。
 家があった頃は、家族も友人もお金も地位も名誉も全て手にしていたはずなのに…今は何も思い出せない。この鍵がどんな扉にささっていたのかさえも。

 向かいのショーウィンドーのガラスが鏡のように反射して、僕のみすぼらしい姿を映す。
 僕の真上に丁度紅く輝く満月と共に。
 僕はこの街の月のように、紅く染まってしまったんだ。
 今更ながら、それを思う。
 叫ぶ声と肉の裂ける感触。

 それを今でもはっきり覚えてる。

 お気づきかと思うが、僕は家族も友人もお金も地位も名誉も全て殺してしまった。
 ただの犯罪者なのだ。

 この街に似合わないサイレンの音が鳴り響いているのは、この僕を探しているのだ。

 嗚呼。
 でも僕は動けない。
 もうこの血が乾いて乾いて、どす黒く濁って…
 僕をこの石の螺旋階段から離さないんだ。
 呪いの様に。



+end+
















































第九夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 ガタタン ゴトトン
 ガタタン ゴトトン

 汽車は時折目も覚めるサイレンの様な汽笛を鳴らしながら、ゆっくりと天の野原を移動していた。
 いくつもの星を巡り、満月の丘を越え、そうして僕の前を何度も何度も通り過ぎていった。
 僕は琴座の一等明るい星の停車場で、ただ君を待っていた。
 僕を置いてこの先へ行った君が、また戻ってきてくれるのを。
 別れの際、君は「また いつか会える。」そう言って去って行った。
 僕はずっと待っている。再び君がこの停車場に降り立つのを。
 待っているんだ。
 けれど時々思う。
 もしかしたら君は、この先の…ずっと先の停車場で僕が追いかけて来るのを待っているんじゃないかと。
 それでも動けずにいるのは、君とすれ違うことになるのが怖いから。
 君と二度と会えなくなることが怖いから。
 ここにいれば、いつかはきっと会える。
 だから動けない。
 それでも君の事が何かわかればと、目の前を通り過ぎる汽車の乗客に毎回君の事を聞く。誰か見たことはありませんか?僕にメッセージはありませんか?答えはいつもノーだけれど、笑って手を振るんだ。
 いつか君にたどり着けばいい。
 今はノーでも。

 君がいなくなった今、僕はどうしてこの停車場に降りたのかわからなくなっている。
 あの時は君を失ってでもこの停車場に降りなければならないと思ったのに…
 今はわからない。
 何故 僕は ここに いるの?

 答えはきっと僕にもわからない。
 この停車場はさびしい場所だ。
 汽車に乗るほとんどの人はこんなところで降りたりしない。
 ここにいるのは、僕と一匹の気まぐれな猫だけ。
 本当に気まぐれな猫で、ほとんど僕の目の前に姿を現すことは無い。
 僕は一人ぼっちだった。
 停車場の常夜灯には必ず毎晩灯が灯るのに、誰の姿も見えない。
 本当は、この場所から離れて奥へ行けば誰か住んでいるのかもしれない。
 猫はそれを知っていて、そこへ行っているのかもしれない。
 けれど、螺旋階段に阻まれたその奥は真っ暗で何も見えないんだ。
 孤独だ。
 怖い。
 けれど、ここから動こうとは思わない。
 君ともう一度巡り合うまでは。

 何度汽車が僕の前を通り過ぎただろう。
 出会う人全てに君のことを尋ねて回って、それでもイエスの答えはいつも無かった。
 もしかしたら君はもう戻ってもこないかもしれない。
 そうも考えた。
 けれど、どうしても君を信じたい。信じていなければ、こんな寂しい場所で生きては行けなかった。
 一人っきりだ。
 けれど君を思うと心は温かくなった。とても寂しくて寂しくて仕方なかったけれど、それだけで僕は生きていけたんだ。
 ただ、汽車が何度も通り過ぎるたびに、時間がどんどん逃げていくたびにこの思いも強くなる。
 君がこの先で僕を待ってくれているんじゃないかという思いが。
 もうそうだとしたら、このまま僕たちは永遠に待ちぼうけをくらうことになる。
 そんなのは嫌だ。
 何度もこの考えを頭から追い出したけれど、戻ってくるたびに不安が大きくなっていくのがわかった。

 あと十の汽車が通り過ぎたら…
 あと八の汽車が通り過ぎたら…
 あと五の汽車が通り過ぎたら…
 あと三の列車が通り過ぎたら…
 あと二の列車が通り過ぎたら…
 あと一の列車が通り過ぎたら…

 君の元に 行こう。

 一の列車が僕の前から通り過ぎていった。
 僕は君に会うために、次の列車で先に進むことにした。
 何処にいるかはわからない。
 停車する駅には全て降りよう。
 そうして君を探そう。
 きっと、僕を待ってくれているだろうから。
 さぁ、列車が来た。
 僕は意気込んで列車に乗り込もうとして、息が止まった。
 鏡が反射したようなまぶしさと、薄い良い香りの香水の匂いと共に誰かが降りてきたのだ。

「あぁ、君。本当に待っていたんだね。」

 その声はそんな嬉しい言葉を言って、僕の前に現れた。
「どうして…」
 僕は嬉しいのとびっくりしたのとが同時にやってきて、やっとそれだけを言葉にすることが出来た。
「君のうわさを聞いていたよ。琴座の一等明るい停車場にいる君の話をね。ずっと先の駅で君が来るのを待っていたんだけれど、来る人来る人その話をするもんだから、君は一生ここから動きそうに無いと思って迎えにきたのさ。うん、けれどどうやら君はどこかへ行こうとしていたみたいだね?」
「そうだよ、君があんまりにも遅いから僕が迎えに行こうとしていたんだよ。」
「じゃぁ、一緒に行こう。僕はこの先に君に見せたいものが沢山あるんだ。ずっと君に紹介したくて待っていたんだよ」
「勿論だよ。僕だって君に話したいことが沢山あるんだ。」
 僕らは再び手を取り合って、切符をキーホルダーに挟むと汽車に乗り込んだ。
 君ともう一度出会えた事が幸せすぎて涙が出たけれど、それは君には内緒だ。


 ガタタン ゴトトン
 ガタタン ゴトトン

 列車は僕らを乗せてその先へと進んでいく。
 君はライターで煙草に火をつけて、煙を風に乗せて気持ちよさそうにしている。
 こんなにも長い間離れていたのに、それはまったく変わらない昨日のような風景だった。

 ピアノの音色に合わせて進む汽車。
 その音はどこまでもどこまでも優しくて、温かかった。
 その音色と共に、僕らはそれから一緒に星を巡った。
 いつまでも いつまでも 離れることは なく。
   


+end+
















































第十夜


 こんな夢を見た。
 と書き出せば、夏目漱石の夢十夜だが…
 不思議な夢を見た。
 と俺なりに書き出そう。



 静かに目を閉じると、
「欠けて逝く月が大きな弧を描いて…やがて満月と成る。」
彼女は予言した。
 真っ白なドレスに真っ赤な靴を履いて、そして手首から肩の方までを包帯で巻き、止めて余った部分を風になびかせていた。
 彼女はこうも言った。
「いつか、そうなったなら慌てずに鏡を二つ用意しなさい。そして合わせ鏡になるように立てて、その真ん中に蝋燭を…それも白い蝋燭を一本だけ立てなさい。」
「そうすると、どうなるの?」
「貴方は、助かるわ。」
「その時、何が起こるの?」
「その時が来れば解るわ。」
 彼女が目を見開いて空を見上げると、真冬の星座と夏の第三角形が入り混じった夜空が見えた。
「今に、運命の流れが変わるわ。見て。」
 星の一つを指差し、彼女は言った。
「星達はみんな常夜灯の光で輝いているの。誰かが毎晩やってきて、一つ一つライターで灯を入れていくの。でもぐるぐる回って星たちに明かりを灯すものだから、たまに忘れられてしまうものもいるわ。二等星とか三等星とか言われてるのがその忘れられた星達よ。忘れられた回数が多いほど暗いの。もちろんよね。だけどいつかまた思い出して灯を入れてくれるのを黙って待っているのよ。文句の一つも言わずにね。」  それから彼女は僕のほうへ向き直って、にっこり笑った。
「欠けて逝く月が大きな弧を描いて、やがて満月と成る。その時貴方はどうするの?」
「僕は、鏡を二枚持ってくるよ。そしてそれを向かい合わせに置いて真ん中に白い蝋燭を立てるよ。」
「そうね、そうね。そうするとやってくるわ。彼がね。灯を入れに来るわ。」
彼女はそれが本当に幸せだというようにうっとりとして僕に言った。
僕は“それからどうなるんだい?”と聞いたが、彼女は何も言わなかった。“じゃぁ、彼って誰だい?”と聞いてみると、彼女は急にまるでネコみたいに目を細めて、
「彼は私に名前をつけた。私は名前に縛られた。私には似付かない優しい暗い名前。いつも螺旋階段を上っているわ。意味も知らずにね。」
 冷たい声だった。僕はその彼女の瞳が怖くて、それ以上何も言わなかった。僕の頭の中で危険を知らせるサイレンが山ほど鳴って、それが正しい選択だと知らせていた。
 彼女は、また最初のように静かに目を閉じた。それからゆっくりと…言い聞かせるように僕にこう言った。
「鏡は繋がってるわ。どこへも。だから鍵をかけなきゃいけないわ。右へ三回。だけどすぐにどこかと繋がりたがるの。誰かを映してこそ鏡の本質だものね。だから毎日鍵をかけるのよ。鏡があれば何処へでもいける。だけど、誰にも来て欲しくないなら右へ三回よ。」
 彼女の言葉が脳内に響いて、僕は頭を抑えた。もう、彼女は何処にも居なくなっていた。
 僕は自分の持っている鏡をそっとズボンのポケットから取り出すと、表面を覗き込んだ。
 鏡は、まるで表面が水で出来ているかのように波打ち、ピアノの音色と共に揺れ、時折計算高そうな香水の香りがした。と、その鏡の中にこちらへ向かってくる人の姿が見えた。もちろん、後ろを振り返っても誰もいない。
 “鏡は繋がっているわ。”
 “だから鍵をかけなきゃいけないわ”
 彼女の言葉が木霊する。
 “右へ三回よ。誰にも来て欲しくないなら右へ…三回よ”
 僕はキーホルダーから綺麗な細工がされたとても小さな鍵を取り出して、鏡に黒く小さな点のように存在する鍵穴に差し込んだ。
 そして、右へ三回まわした。
 すると、もう人影は見えなくなって…ピアノの音色も、香水の香りも、波打つ表面も無くなって元通りになった。

 僕は上を見上げた。

 月はまだ欠けてはいないし、星達は当たり前のように輝いていた。

 何故か僕はそんな星たちが、少し愛おしく見えた。



+end+
2007.06.21