-決まってるだろ?-
並んで歩く道の先。
回り道なら近道か、それとも迷いの道なのか。
巡り巡りの夢の先。
行きつく先はあるのだろうか?
小さなお嬢さんは考える。
まるで不思議の国。
まるで御伽噺。
三年六組の教室のドアを開けると、そこはそんな場所でした。
「それにしたって、退屈だな。」
青年はあくびを噛み殺しながら影屋に問いかけた。退屈と言われても、確かに何もない真黒な道の先へ歩いているのだからそれも道理。影屋に面白い話の一つや二つ話して聞かせる器量があればまた別の話かもしれないが、そんな役回りは生憎持ち合わせていない。だから影屋はそう問われても返す答えを持ち合わせてはいなかった。
「まっくろだな。」
返答が無いのをよそに、青年は再度問う。何か答えを返さなければ…けれど何を?二人きりになって初めて、影屋はこの青年と自分との間に会話するべき話題が無い事に行き詰る。裁判終了後は勢いもあってか言葉を交わす事も出来たのに、今ではそれが過去の栄光のように遠いところで輝いているように見えて仕方がない。
どうしようとあれやこれやを考えて、結局言葉にならない影屋を横目に、
「はは、あんたはどうしてそう悲しそうな顔をするんだ?よし、そんなあんたに一つ良い物を見せてやろう。なぁに、心配する事ないさ。俺とあんたの仲だからな。」
青年は快活に笑って右胸のポケットから小さな袋を取り出した。
ハートの紋章が描かれたいかにも高級そうな生地の、手のひらサイズの小さな袋。
声を落として彼は言う。
「いいか、この事は誰にも内緒だ。俺とあんただけの秘密だぜ?」
そしていきなり足を止めて、影屋の前に片膝をついてしゃがみこんだ。
影屋は急いで自分にブレーキをかけ、ぶつかるのを回避する。青年と影屋。二人の伸長差がこれで逆転する。
少し影屋が覗き込むようにすると、青年は手の中の小さな袋の口をそっと開いた。
そこにあるのは、ハートの紋章。
ハートの紋章そのものだった。
「これは女王の証と呼ばれる紋章だ。俺らハートの兵隊の詰襟についているこのバッチとは訳が違う。俺らのは金で出来ているが、こいつはルビーだ。真っ赤な女王お気に入りのな。」
「これを…どうしてあなたが持っているの?」
「ちょっとね。ある双子から預かっているのさ。女王に見つかれば間違いなく首が飛ぶが、彼女は他の宝石で自分を着飾る事に忙しい。しばらくはきっと気付かない…気付けないさ。」
「すごく綺麗。」
「当然さ。誰もが美しいと思うように作られている。これを持っているものが女王になれるって噂もある。ま、俺は男だから女王にはなれないけどな。」
「見せてくれてありがとう。でも、大丈夫?」
「何を心配してるんだ、あんたは。俺の身の上か?それとも、あんたの身の上か?見たからって呪われやしねーさ。見た事を黙っておけば見てない事と同じ。今この瞬間は無かった事になる。口裏はしっかり合わせてくれよ?でもま、これでさっきのあんたの悲しそうな顔は消えたかな?」
「そ、そんな顔してたかな?」
「表情の読み方は人それぞれさ。俺にはそう見えただけ。だから、ま、元気になってくれりゃそれでいい。俺はあんまり気回しは得意じゃねー。適当だ。慰めたりは不得意分野だ。それでも、ま、あんたは俺に遠慮する事無いんだぞ。恩人なんだから、色々命令すりゃいい。腹が減ったとか疲れたとか。俺は軍人だからその辺りの一般的な感覚は我慢出来ちまう。あんたの事はあんたの言葉で伝えてくれ。出来る限りなんとかしてやる。頼りがいあるぞ。何せ俺はハートの兵隊だからな。」
青年なりの不器用な様で器用な気づかいに影屋は気付き、自分が悩みに思っていた事が何でもない事なんだと思った。
「私、あなたと話せる事が少なくて、何を話していいのか解らなかったの。」
「何でもいいじゃねーか、話題なんて。あんたと俺とは出会って一日だって経ってないんだぜ、お嬢さん。話題に縛られない事は良い事だぜ。好きな話が出来るじゃねーか。」
小さな袋に紋章を大事に閉まって、立ち上がりながら彼は言う。
「俺とあんた。初めましては終わったんだ。だったら、あんたなら次は何て言う?」
鷹揚に笑って、影屋に問う。
影屋もつられて笑った。
「退屈しのぎの方法、知ってる?」
ニシシと青年が笑う。
「俺は生憎退屈しのぎとは縁が遠い。けれど、退屈をしのぐほどしのいできた悪戯好きは知ってるぜ。出てこいよ、真上にいるんだろう?」
青年がそう言って言葉を投げた上空。黒いだけの空間に森のような木々が大きく唸りを上げて茂っていた。
一体いつからここに木があっただろうか?驚いて見上げた先に、二つの尻尾がぶら下がった。
「「もしかして俺達を呼んだのか、ハートを首になったハートの兵隊。いや、兵隊を首になった兵隊ってか?」」
「どっちでもねーし、どっちでもあるか。首になったと言っても首を切られたわけじゃねーよ。このお嬢さんのおかげでまだまだ繋がっていやがるさ。」
「「はは、そんな事は確かにどっちでもいっしょだな。それにしても合縁奇遇。小さな小さなお嬢さん。先刻見て以来どこへ逃げたかと思えばこんなところで落ち合うとはね!」」
ゲラゲラゲラ猫は笑う。
「何だ、知り合いなのか?この双子と。」
「知り合いといか…帽子屋さんと一緒に居る時に逃げなきゃいけなくなったのが…」
「なんだ、この双子の被害者か。あんたもどうにも退屈しのぎと縁が遠いな。今度は何をやらかしたんだ?」
「「なぁに、ちょいとね。」」
ニヤリと笑って猫は言う。
「「お嬢さんは知っての通り、女王の大切に色をつけてやったのさ。愉快愉快、笑いたくなるな。首切り鋏が追ってきて俺たちみんな散り散りよ。」」
他人事のように猫は笑う。
げらげらげら猫は笑う。
「どうにも本当に退屈しないな。お前たちの預かりものだ。取りに来たんじゃねーのか?」
青年は笑い続ける猫に右胸ポケットから小さな袋を取り出した。
それはさっき影屋が見せてもらった、ハートの紋章が入った小さな袋。
猫たちはそれを見るなり目を縦に細めて口の端を精一杯釣り上げた。
「「おやおや、恐ろしいものを見せるな兵隊。そりゃもう、過去の遺物だよ。俺たちはそんなものには飽きちまったのさ。やった事はしかたがないさ。後悔せずに次へ進もう!もう俺たちにそれは必要ないのさ。捨てるなり捨てるなり好きにするのがお前の自由だ!」」
「なんだよ、今まで持ってた俺がバカみたいじゃねーか。」
気まぐれな猫に、青年は飽きれ顔で答える。それから、
「捨てるっても、勿体ねーしな。結構な代物だ。女王に返す義理はもう無いし…」
「「首になった今じゃ、お前と女王との間に絆なんてありゃしない。いいね、自由!不思議な言葉だ!」」
ひゃっほいと跳ねて、尻尾で木の枝につかまり、くるくる回転したかと思うと突然影屋の眼前に猫の顔がにゅっと飛び降りてきた。
にんまりと目を縦に細めたまま猫が笑う。
「「おやおや、考え付いたね。あぁ、考え付いたとも。そもそもの話。この紋章はあの女王に嫌気がさしていたと見える。だから俺たちにこう言った。どうかどうか可愛い猫さん。私を盗んでくださいな。」」
「勝手にストーリーを決めるなよ。それはお嬢さんが決めることだ。」
「「それで俺達は考えた。考え付いて、考えた。兵隊が決めかねているのなら、どうぞと渡せば良いじゃないか。」」
「おいおい、それで今度はお嬢さんで遊ぼうって言うのか?退屈はしのげるが、いくらなんでもお嬢さんの気持ちが知れん。」
ゲラゲラゲラ猫は笑う。
「「気持ち気持ちとても大事な事だよね!だったら聞いてみようかい、お嬢さん、あんたどう思う?」」
今までの会話の流れについていけず、影屋は突然訪ねられた質問にまで頭が回らなかった。頻繁に自分を指されていはいたけれど、まったく話が解らない。
困った顔で青年を見ると、青年は青年で思案しながら影屋の答えを待っている。裁判の時には見せなかった深刻そうな表情で、影屋の不安を煽り立てる。
「わ、わからない。」
影屋はどうにか息をついて、それだけ気持ちを吐きだした。
「「わからないわからない。お嬢さんはどうしてそうもわからない?」」
影屋の目の前で猫がくるくる回って見せる。
「ダンスを見せている場合じゃねーだろ。お嬢さん、この猫はあんたにこの女王の紋章を譲れと言ってやがる。あんたは今まで一緒に歩いてきた限り、厄介事はあんまり好きじゃないだろう?この紋章を持つ自信はあるのかい?」
そう言われて影屋はようやく猫たちがはしゃいでいる訳や青年が深刻そうにしている訳が解った。
みんな影屋の事を待っているのだ。
「「自信なんていらないのさ。いるのは受け取る勇気だけ。勇気なんて欠片でいい。そうだ、きっと勇気も要らない。いるのは欲しいという物欲だけさ。タダでくれてやるんだから、遠慮しないで受け取れよ。」」
ゲラゲラゲラ猫は笑う。
「俺はあんたが良いなら貰って良いと思うぜ。俺は男だ。女の飾りは必要ない。」
「だけど、私女王に首を…切られ…るのは嫌。」
「「おいおいおいおい。心配ないさ。女王が気にしてるのは宝石の数だけ!いちいち覚えちゃいないのさ!そんな小っさな飾り物!あってもなくても同じだとそう思い込んでいるのだから!だから女王はこいつをほったらかしにして権力を振りかざしているんじゃないか!遠慮はいらない、礼にも及ばない。プラスはあってもマイナスはないのさ!」」
「猫の言う事は話半分に聞いとけ。それでも、ま、大方そういう事だな。」
青年は言う。
「あんたの好きにしていいぜ。さっきも言ったろ?なんせ俺はハートの兵隊だ。女王のお気に入りの部隊に所属してた男だぜ。」
快活に笑って。
「頼り甲斐、あるぜ。受け取れよ。」
もしもがあれば助けてやる。その言葉に魅了され、影屋は小さな袋を受け取った。
重みのある袋の中身。
ルビーの赤。
ハートの紋章。
女王の証。
「なるほどな。下品な赤もあんたに掛かれば上品な色に見えてくるぜ、お嬢さん。」
「「よく似合うぜ、お嬢さん。これであんたの未来も薔薇色だ!」」
ゲラゲラゲラ猫は笑う。
ニシシと青年が笑う。
どうしてだろ。
こんなに恐ろしいものが、それだけで愛おしくさえ思えた。
+end+
2009.07.25→修正2011.01.26