笑ってくれたら、それで幸せ。
彼の笑顔が私の活性剤。
悲しい顔なんて見たくないの。
だって…
そんな時あなたは必ず彼女のことを思い出してるから・・・
桜葉 春菜。
つまり私は、脳内に霧がかかって何も考えられない状態で、ベットに寝転んだままぼんやりと天井に描かれている星を数えてる。自分でも何をしてるのかわからないけど…それでも星を数えてる。
ここは私の彼氏、萌葱 一秋の部屋で、星の壁紙は天体観測好きの彼の趣味だ。
ずっと星を数えていると、目の前に一秋の顔がぬぉっと割って入ってきて、
「何してるんだ?」
ってぼそぼそ問いかけてきた。
いつもならそんな言葉すら嬉しくて仕方ないはずなのに、
「うん。」
その時の私は、そう小さく呟くだけしか出来なかった。
「体…辛かったら言えよ?」
「うん。」
何度か一秋は私に話しかけてきたけど、うん。としか返さない私に次第に興味をなくしたのか、煙草に火をつけて私の隣に腰掛けて、黙り込んでしまった。
それでも私は天井から目を放せずに、ただ星を数えて
「うん。」
消え入りそうな声でもう一度呟いた。
春。私はオンナになった。
私が一秋と出合ったのは、高校に入学して直ぐの事。
初めて出来た友達が、誘ってきたクラブの部長が一秋だったのだ。
『天体観測部』という比較的地味なクラブの割りに、入部者が多い人気のクラブで、一秋は三年になって部長を任されたばかりだった。
どちらかというと、物静かで知的なイメージの一秋だったけど、すごく優しくて、面倒見がよくて、その日の内に私は一秋に一目惚れしてた。
本当は見学だけの予定だったクラブにも入部して、星なんて興味なかったけど…それでも一秋が『どんどん興味もっていってくれれば嬉しい、かな。』なんて本当に嬉しそうに言うもんだから、毎日放課後が待ち遠しくなった。
その頃から私たちは一秋の事を『一秋先輩』と呼んでいた。本当はちゃんと苗字で呼んでいたんだけど、一秋が女の子っぽい苗字だから好きじゃないって照れながら言うもんだから、最初はからかって呼んでたものの、三ヶ月も過ぎないうちに『一秋先輩』が部内で定着した。
もちろん一秋は部長だし、先輩だから私たちだけに優しいってわけじゃなかったけど、それでも同じ場所で共通の事をしてるってだけで私はすごく満たされてた。
だけど、一秋ばかり見てると、解りたくないことも解ってしまう時があって…
一秋と同じ三年の白木 冬美…通称お嬢先輩。この部の副部長ですごく美人な先輩。髪は腰まであって、でも痛んでない綺麗なストレートで、上品で大人っぽくて…まさにお嬢様って感じの人。
一秋を見てると、いつもお嬢先輩を目で追っていて…お嬢先輩を見るとき、すごく優しい顔をしてるのが、見てて辛かった。
それに、周りから見ててもすごくお似合いの二人で、私なんかが入り込む余地は全然なかった。だから、お嬢先輩に優しくされるとすごく悔しくて、つい反抗的な態度取っちゃうのに…それなのにお嬢先輩は怒りもせず、優しい言葉をかけてくれた。格が違いすぎるって思ったら…さらに悔しくなった。
そんな感じで、嬉しいような辛いような一学期が過ぎていって…夏休みがやってきた。
休みの間、クラブ活動は顧問の先生の都合で毎週月曜日の週一回に落ち込んだ。
毎日でも一秋に会いたいのに…
会えない日は、お嬢先輩と一秋がデートしてたりとかそういう関係になっちゃってるんじゃないかとか、妄想ばかりが膨らんで、息が詰まりそうなぐらい苦しくなった。
友達にも相談してみたけど…
「じゃぁ、とっとと告白しちゃいない。振られてすっきりしちゃえ。」
なんて笑いながら言われる始末。
でも、それだけ二人の仲が良く見えるって事で…
どうしようもなく、行き場のないこの気持ちだけが私の中で空回りし続けてた。
だけど、八月最後の月曜日。夏休み内最後のクラブ活動を終えて、みんなが帰った後。忘れ物をとりに戻ってきた私は、偶然にもその現場を目撃してしまう。
教室に入ろうとしたとき、聞こえてきた第一声は一秋のものだった。
「半年、待ったよ。それでも冬美は俺の事好きにならない?」
聞こえてきた瞬間、まだ一秋が残ってたと思って喜んだけど、その言葉を聴いて私はドアの外に立ち尽くした。
「半年以上がたったけど、どうして諦めてくれないのかな?」
「え?」
「半年たったら諦めるって言うからあげたけど、半年たっても諦めないから言うことにしたの。これ以上は契約違反だよって。」
「…半年、待ったよ。それでも冬美は俺の事好きにならない?」
「えぇ。ちっとも。確かに一秋の事は好きよ?だけどね、それは愛じゃないの。それは半年前からもずぅっと変わらないよ。友情だよ。もしかしたら友情ですらないかもしれない。」
「なんでだよ、何が駄目なんだよ?」
「ダメとかそんなんじゃないのよ。一秋。私はたった一人しか要らないの。大切なものはたった一つだけでいいの。それ以外は所有しようとすら思わない。そしてその一人は決して一秋では無いの。
」
「どうしてそんな事が言える?どうしてっ。」
「解るの。ううん。ずっと知ってた。知らない方が絶対に幸せかもしれないし、きっと一秋と一緒だと楽しいのも。でも私はね、一秋の事絶対好きにはならないから。一秋がどんなに私の事愛してくれても、ずぅっと私の事待っててくれても、絶対それは変わらないのよ。だってね…私はしきを愛してるから。」
「なっ…んだよ…それ。」
教室の外で立ち尽くしたまま、私は愕然とした頭で一生懸命考えてた。
あれ、つまり…一秋先輩は…お嬢先輩の事がやっぱり好きで…でもって、半年も待ってて告白してて…でもお嬢先輩は好きじゃなくて…??
考えがまとまらないうちに、教室の中で机が倒れたような大きな音が響いた。それから、
バシン
って誰かが叩かれたような音も。
「ばいばい、一秋。」
お嬢先輩の声が聞こえて、私はあわてて隣の教室に身を隠した。私が隠れて直ぐ、お嬢先輩が一人で出てきて…何事もなかったように通り過ぎてった。シーンと静まり返った空気が、重く後に残った。
一秋先輩はどうしたんだろ?すごい音がしたけど…?
お嬢先輩の足跡が聞こえなくなって、私は教室から静かに這い出した。幸いというか…お嬢先輩が扉を閉めずに出ていったので中を覗き見ることが出来た。
一秋が、教室の真ん中に立って頬を押さえてた。叩かれたんだ…お嬢先輩に。何故か解らないけど、そう確信した。
教室は一秋の周りの机や椅子だけが倒れていて、大きな音の原因だとすぐにわかった。
一秋はただお嬢先輩の出て行った先をじっと見ているみたいで…でも、何も見ていないようにも見えた。
私はどうしようか躊躇ったけど、忘れ物も取らせて貰わないといけないのでとにかく声をかけてみることにした。
「あ…あのっ…」
声をかけた瞬間、跳ね上がるように機敏な動作で一秋がこっちを見て、それから少し驚いたような…困ったような顔をして
「さくら…ばさん…。もしかして…見てた?」
「えっと…あの…ごめんなさい。」
「……ふられちゃったよ。完全に。」
弱々しく一秋が言った。
「二年のクラス替えで一緒になったときから、好きだったんだ。で、一回告白したんだけどさ…興味ないって言われちゃって…。でも、これから興味持ってくれればいいって諦めずに部活に誘ったりとかして…。全然嫌がらないから、だんだん好きになってきてくれてるって思ってたのにな…。」
聞いてるうちに一秋の声はだんだんか細くなっていって、何も言わなくなったと思ったら…声を殺して泣いてた。
それを見て私はなんだかわからないけど、無性に一秋の事が愛おしくなって…それが抑えられなくなって、気がついたら強引に唇をくっつけてた。キスなんて呼べるようなものじゃなかったし、ムードもなにもなかったけど、そのときの私には「私が先輩を守らないと」って衝動が湧き上がってた。
驚いた顔をして私を見る先輩に、
「先輩が、好きです。私だったら先輩に悲しい思いはさせません。だから、お嬢先輩の代わりに私を好きになってください。私は先輩だったら、何をされてもいいです。何をしてもいいです。奴隷のように扱ってくれてもいいです。先輩が好きです。先輩が好きです。だから、私と付き合ってください。」
正面を向いて目をそらさずに言えた。
先輩を守りたい為に口から勝手に出た言葉だったけど、本心でもあった。
先輩は力なく笑って言った。
「女の子が奴隷とか言っちゃ駄目だよ。それにね…俺は冬美しか愛せないだ。だから…」
「“ごめん”なんて言わせません。お嬢先輩を好きなままで良いんです。」
「桜葉さん…。」
「お願いです。先輩…」
言いかけて、私は呆然としている先輩にもう一度口づける。でも、さっきよりは優しく…
「先輩を一番愛してるのは…私だけです。」
ダメ押しの一言。
もうどうにでもなれと思ったのか、
「わかった…。」
一秋は消え入りそうな声で呟いて、私に寂しく笑って見せた。
そうして、私たちは歪ではあるが付き合い始めた。
ずっとお嬢先輩を好きなままで良いとは言ったものの、でもそのうち私の事を一番好きになってくれると思って…すこしでも好きになってもらえるように努力した。
一秋もお嬢先輩の事を忘れようとしているのか、私の事を「好きだよ」と言ってくれたり、たまにだけどデートにも誘ってくれるようになった。
でも、そうやって私と過ごす時間も、一秋はどこか遠いところをみているような…まだお嬢先輩を視ているような…そんな目をしていることが多かった。“あぁ、先輩は私の事なんてみてくれてないんだ”。そう思うと、いつもすごく悲しくて、切なかった。
そうしているうちに、また春がやってきて、私は二年に上がった。
先輩は卒業してすぐに就職し、立派な社会人となっている。
そして今日。
就職を期に一人暮らしを始める為、先輩が実家を出るというので、最後に部屋に遊びに行きたいと我侭を言って初めて先輩の実家を訪れた。
生憎家族の人は留守で彼女的アピールをすることは出来なかったけれど…
よく考えれば二人っきりなんで、逆に緊張していた。
先輩の部屋は片付いていて…というより、物が少なくて…。何よりも天体観測に関する道具や星の本なんかが多く並んでいた。
本当に好きなんだぁ。
私は少し一秋を理解出来た気がして嬉しくなった。
だけど…
「春菜に、言っておくことがあるんだ。」
「何?」
「春菜と付き合って、半年以上経つけど…俺はやっぱり春菜を愛せないんだ。」
「えっ…な、なん…で…?」
「今になって、冬美がずっと好きにはならないって言った気持ちがよくわかる。俺は、やっぱりずっと冬美しか愛せないみたいだ…。」
「えっ…でも、私…それでもいい!何で今更そんな事言うの?!」
「ずっと、春が来るまでって思ってたんだ。卒業しても変わらないなら…言おうって。」
「そんな…じゃぁ、でもっ!」
「今度こそ…ごめん。」
言われた瞬間、頭が真っ白になった。
一秋が私から離れていく。今もずっとその目がお嬢先輩を視ていることはわかっていたけど…そんな目で私を見ることも無くなってしまう。
気がついた時、私は先輩をベットの上に押し倒し、強引に唇を奪っていた。
「言いましたよね?“ごめん”なんて言わせませんって。」
上乗りのまま、一秋の服に手をかけてボタンを一つ一つ外していく。
「経験はありませんが、知識ぐらいはあります。女の子だってヤられっぱなしじゃぁないんですよ?」
驚いた顔で一秋が私を見てる。わたしを。
「やっと、視てくれたね。私を。一秋、愛してる。世界で一番私だけが一秋を愛してる。だから、抱いて。好きにしていいよ?大好き。愛してる。」
私はちゃんと笑えてたかな?
優しく一秋にキスをして、何度も何度もキスをして…
呪文のように愛してるって繰り返した。
もしかしたら、私は狂っていたのかもしれない。
だけど、一秋はそれ以上私を拒絶することはなく…何度目かのキスの時、舌を這わせて私を押し倒し、抱いてくれた。
一秋も、狂ってしまったのかもしれなかった。
でも、彼が私の中に入ってきて、そんな事はどうでもよくなった。
コトが終わった後の事はよく覚えてないけど、何度か話しかけられたような気がする。
だけど、その時私は何故か悲しくて…泣けなかった。
嬉しいはずなのに、悲しかった。
そうして、私はオンナになった。
花びらが舞い散る桜並木を二人並んで歩く。
私を見て一秋が「好きだよ」ってささやいて、私はそれに「愛してるっ。」を返す。
私を抱いてから三ヶ月、一秋は変わった。少しずつ私を視てくれるようになってきたのだ。
そして私は一人暮らしを始めた一秋の家で、ほぼ同棲のような生活を送っている。
今、すごく幸せです。
だけど、時々あの目をしている一秋を見かける。遠くにあの美しい先輩を視ている目を。
そんな時私はこう思う。
“あぁ、私は一生この目と付き合っていくんだ”って。
私が彼の事を愛し続ける限り。
+end+
2007.04.24→加筆修正2007.05.15→加筆修正2008.09.05