あれは、夏の始め頃。
友人と病院で受けた検査の結果を頂いた時でした。
いつもは結果を頂いて帰るだけなのに、再検査を言い渡されたのです。
何処がどう悪いのか不安で、とにかく再検査を受けました。
再検査の結果、私は入院することになりました。
入院してからというもの、私は「すぐによくなる」と言われるだけで、はっきりとした病名や症状などは伝えられませんでした。
ただ、皆の不安そうな瞳だけが、正直に私の行く末を見つめていました。
もしかしたら、私はもう、長くないのかもしれない。
入院先の病院は、ドラマなどで見かけるような綺麗な所ではありませんでした。
薄暗くて、そこら中から死の薫りが漂ってくるような、そんな雰囲気さえありました。
もちろん個室に入る余裕もありませんから、周りには他の患者さんがいました。
でも、どの人も皆病んでいました。
呻き声をあげる人もいました。
私は、眠れない夜を過ごす事になりました。
入院先は、定期的に変更されました。
病院側の身勝手な理由によるものです。
私は文句を言いませんでしたが、出来ればもう、家に帰りたいと願っていました。
ここにいると、自分がだめになっていく気がして仕方なかったからです。
夏が終わる頃、私はようやく家に帰るという夢を叶えました。
また一つ年をとり
正月を迎え、
私は、まだ生きていける気がしていました。
”本当に、大したことなかったのね。”そう思って、おびえていた自分が恥ずかしくなりました。
そんな時、私は再び入院する事になりました。
また、あの孤独の部屋に一人ぼっちです。
窓から外を眺める事なんて出来ずに、カーテンに仕切られた狭いベットの上。
何もさせてもらえず、点滴のみを与えられて…
限られた時間だけ会いにきてくれる人たちだけが、唯一私の楽しみでした。
でも、同時に弱弱しい自分の姿を人に見られるのがイヤでした。
病人扱いされて、「カワイソウ」な目で見られるのがイヤでたまりませんでした。
そして日は、一日一日無駄に過ぎて行くのでした。
ある日、急に私の体が自分でもおかしいと感じるぐらい弱っていくのを感じました。
目も見えなくなり、話すことも困難になりました。
私のお見舞いにやって来た人たちが、そんな私の様子を見て「危ない」と思っているのがわかりました。
思っていたより、私の病気は重くなっていたみたいです。
次の日、小さな頃から可愛がっていた子供が二人と、その母親がお見舞いに来てくれました。
私は必死にわかってると伝えようとしましたが、なにも伝わりませんでした。
ただ、微かに聞こえてくる声が私の心に響きました。
「がんばれ」
「がんばれ」
頼りなく、でも力強く何度も何度も繰り返します。
私は必死でした。少しでもこの子達の姿が見れたらと願いました。
「がんばれ」
「がんばれ」
私の手を握って何度も言ってくれました。
「がんばれ」
「がんばれ」
私は心がジーンと熱くなって、涙がこぼれ落ちました。
それが本当にこぼれ落ちたか、私は感じる事が出来ませんでしたが、少なくてもこぼれ落ちたように思えました。
私は、とても悲しくて、淋しくて、怖かったのです。そして、その言葉が、必死さがとても嬉しかったのです。
彼女達はすぐに帰りました。
私は、一人がいやでした。
出来ればもっと沢山傍にいて、話をしたいと思っていました。
彼女達が帰った後も、私は先ほどの言葉を思い出して、涙を流しました。
静かな時間に、また一人、取り残されました。
私はまぶたを閉じました。
もう、何もワカリマセンでした。
でも、一つだけわかっていることがありました。
それは…
もう誰にも会えないということでした。
それから幾間も経たないうちに、私は80年という長かった生涯を閉じました。
一月の初めの出来事でした。
2005.05.12
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