Blue Blue Dream



 バラにはもともと青色色素“デルフィニジン”が無い。
 つまり、生物学的にも遺伝子学的にも何学的にもどの角度から見ても、青いバラは生まれる事はない。

 絶対に。


 それ故、青いバラは不可能の代名詞となっていた。
 


「だから何なのです!私をその青いバラと呼ぶのなら、それは私への挑戦状ととりますよ!」

 ある晴れた日、博士は僕を指さして言った。

「私がその不可能咲かせて見せましょう!」


 Blue Blue Dream


 別に僕は博士を青いバラと呼んだわけではない。博士の考えが青いと言っただけだ。それだけで、こうも逆上されるとはまったくの予想外で…
 僕は目と目の間のちょうど鼻筋の通る少し窪んだ位置に、後1mmで触れるぐらいの距離にビシッと指された指を見つめ、深々とため息をついた。
「博士、別に僕は博士の存在が不可能だと否定したわけではないんですけど。」
そんな事、思う訳がない。
「むしろその様に解釈されてしまったのなら間違いを訂正したいとさえ思います。博士。」
 本当に予測のつかない人だ。予測を超えようとか避けようとか、そんな風に考えて行動しているんじゃないかとさえ思う。
 博士と出会って一年間。
 その一年間で同じだった日が一度でもあったか…いや無かった。
 予想外の連続という意味では同じ毎日を過ごしていたかもしれないが、それは言葉上同じであるだけで、中身がまるで違う。他に変わる適切な言葉が一年分あったなら、それぞれがそれぞれの日に当て嵌まって言い換える事が出来ただろう。
 全く、毎日が記念日とは良く言ったものだ。
「訂正などという言い訳は私には通用しませんよ、助手見習い(仮)!いえ、もうこうなっては助手ですらありませんね、今からあなたはただの博士見習いです!助手という立場を勉強する以前に、私という立派な人間を勉強するべきでしたね!」
博士はまだ指をさし続けている。
「博士、それでは見習いがとれたとき、助手をすっとばして博士になれてしまいますけど。」
「なんとっ!やはり私の地位を脅かす悪の存在だったというわけですか!!道理で夕飯の味付けが塩辛いと思いました!私を塩分過多で病弱死させるつもりだったのですね!なんと恐ろしい!もう見習いという地位も略奪ものですよ!」
「略奪すると博士は博士ではなく、見習いになってしまいますよ?それに、昨夜の夕食の味が塩辛くなったのは博士が鍋の中に塩の瓶の中身を全てぶちまけてしまったからではありませんか!僕のせいではありません!作り直すというのを、“これはこれで海のミネラルを遠慮なく体内に取り込める新メニューが完成した事になりそうですね”とか何とか言って澄ました顔で食べていたじゃありませんか!僕にはとてもじゃないですが、食べられる代物ではありませんでしたよ?!」
「まだまだですね。あの程度の塩分、海に溶けてしまえば水と同じです!!」
「海と人間を一緒にしないでください!」
「人間もまた…海から生まれた。」
博士はまだ指をさし続けている。
「そしてその人間が海に帰る一つの方法は、塩分過多になることです!今閃きが潮風に乗って私の体内に充満しました!“人を海に還そう”まずは私から!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!そんな方法で海にって、えっ?!突っ込める理解の範疇を超えました!博士、もう少し人間らしい説明して下さい。そもそもなぜそんな話を僕達はしているんですか!」
 発端は確か、青いバラが咲くか咲かないかだったはずだ。それがどうして博士が海に還る話に?転換部分が全く分からない。起承転結が正常作動していない。
 博士に海に還られては、僕は困る。
「いいですか、人間という生き物はかつて海にすんでいるバクテリアだったのです。それが細胞分裂を繰り返し進化した揚句がこれですよ。この私達という姿です!正にその進化の真価が今問われているのです!雄大な海で僅かな酸素とミネラルだけを摂取して生きていれば良いものを、のこのこ陸地に上がってきた私達が、今問われているのはつまり!」
「つ、つまり…?」
「青いバラを咲かせる事です!」
 博士はまだ指を指し続けている。
 その指先を見つめる事しか出来ない。今の僕はもはや、身動き一つ取れずにいた。
 博士の演説に感動したからではない。
 博士の博士たる博士な所に、胸を打たれたからだ。
 あの遠回りな言い合いを経て、何の根拠も論理も倫理も無く最初の話題に戻すとは…ある意味すごい。
「いいですか、人にはそもそも夢や希望という無駄な思考回路が備わっています。」
「無駄は言い過ぎではないでしょうか…?」
「“あんなこといいな”“できたらいいな”とっても大好きうふふふふとはよく言ったもので、テーマソングだからこそ許される、人間がいかに夢見がちかが解る一曲です!考えるのは勝手ですが、だからってどうこうなるものではないでしょう!考えただけで実現するなら猫のロボットはいらないのです!だったら“いいな”などと言っておらずに作ったらどうなのです!やったらどうなのです!私はそんな無駄な“いいな”は妄想しませんよ!妄想はすでに幻と同義です!私を誰だと思っているのですか!私は博士ですよ。博士であるという事に、不可能という現実は存在し得ないのです!」
「えっと…そうですね。」
 博士も人間ではあるのだから、とりあえず不可能な事はあるとは思うのだが…。その不可能でさえ可能だという博士自身から放たれる自信に圧倒されて、もう僕はうなずくしか出来なかった。
「では、博士。博士は今から青いバラを咲かせる研究を始めるのですか?」
「今から?何を言ってるんですか、だからあなたは助手見習いですらないのです。」
 ようやく博士は僕ら指を離して、呆れた様に両手を広げて、意味有り気にニヒルな笑みを浮かべてこう答えた。


「もう、とっくに咲かせていますよ。」


 と。
 あぁ、そうだった。
 博士は既に、沢山の不可能を…咲かせてきたんだった。
 だったら最初の茶番は何だったんだ。
 この数分間が無駄に過ぎてしまった。
 無駄すぎて、無駄すぎて、無駄が過ぎて、
 全く、この無駄が愛しいなんて。

 博士、博士、博士。
 僕が水に成りたいとすら願った、永遠すら存在しないこの世界で、博士、貴女は一際濃く美しい無限の青いバラに、愛されているのですね。

 博士。
 博士。
 博士。
 

 僕は
 今日
 初めて、





































 貴女の傍で生きたいと願った。











2010.03.10